長音階(メジャースケール)の特徴はこれ

今回は長音階(メジャースケール)について考えていきたいと思います。個人的には音楽理論の中で一番重要なのがこの長音階ではないかと思っています。長音階はさまざまな理論の元になっているのです。 長音階とは、とても簡単に言うとドレミファソラシドです。みなさん一度は耳にしたことがある響きだと思います。 ここでこの長音階に番号を振ってみましょう。 1ド 2レ 3ミ 4ファ 5ソ 6ラ 7シ 8ド となります。8個目に最初と同じドが出てきますね。 実はこの長音階、それぞれの音の幅は一緒ではありません。 ミからファと、シからドの二か所だけが狭いのです。上の写真の鍵盤に赤い印をつけました。赤い印を見ると、ミファやシドの狭さが分かりやすいかもしれません。 (こちらの記事も参照してみてください。) ミファとシドが狭いので、こんなイメージです。 ド レ ミファ ソ ラ シド 数字だけ書くとこんな感じ。 1 2 34 5 6 78 これがそのまま長音階の特徴になっています。 ・3番目と4番目の音が半音である ・7番目と8番目の音が半音である ・他の部分は全音である 長音階の特徴が分かったところで、次回はドではない別の音から長音階を作ってみます。

半音って何?全音って何?

今回は半音と全音について考えていきたいと思います。 基本的なようで、考えていくと意外に奥が深いです。 半音や全音とは音と音の距離を表す言葉。 半音2つで全音1つと同じ距離です。 半音+半音=全音 楽器で考えるとどうでしょう? ギターやエレクトリックベースは半音を理解するのに一番向いている楽器かもしれません。 これらの楽器は指板で隣にある音同士が必ず半音の関係になっています。 一方、ピアノはややこしいです。 白い鍵盤だけを弾くと、ドレミファソラシドと音が並んでいます。 この時、 ドとレの距離は全音。 レとミの距離は全音。 ミとファの距離は半音! ファとソの距離は全音。 ソとラの距離は全音。 ラとシの距離は全音。 シとドの距離は半音! なんで?? その理由ですが、 「ドとレの間には黒い鍵盤があるから全音。ミとファの間には黒い鍵盤が無いから半音。」 と言われます。 白い鍵盤だけを見るとドとレは隣にあるように見えます。 この時ドとレの間に黒鍵がはさまっていることを実感するために、鍵盤の手前側に布を置いてみます。 布を置いただけですが、ドとレが黒鍵を間に挟むため遠く、ミとファが近い距離にあるというのが分かりやすくなったのではないでしょうか? ド●レ●ミファ●ソ●ラ●シ という風になっていますね。 ドレミファソラシドの中に、半音の場所と全音の場所があります。この事を理解しておくと便利です。例えば音階を作る時に役立ちます。 オンラインレッスンをやっているので、疑問のある方はお気軽にどうぞ!

ミの♯

ミの音に♯をつけると何が起こるでしょうか?「♯」は音を半音高くする記号ですが、ミの半音上に黒い鍵盤は無いです。なので、鍵盤楽器においてミの♯はファと同じ音になります。 なぜ簡単な「ファ」ではなく、わざわざ「ミの♯」という言い方をするのでしょうか。 これはいろいろな場合があります。 ● まず、飾りの音をきちんと表現したい場合。 ある音に、半音下の音を飾りでつけることがあります。 ドに対して半音下の音を飾りでつけると「ド、シ、ド」。 レに対して半音下の音を飾りでつけると「レ、ド♯、レ」。 ファ♯に対して半音下の音を飾りでつけると「ファ♯、ミ♯、ファ♯」。 この時ミ♯の代わりにファと書くと「ファ♯、ファ、ファ♯になってしまいます。 これだとファ♯に飾りをつけたというよりも、ファの音自身が変化したように見えてしまいます。それを避けるためにミ♯で書く場合があります。 ● また、調を正確に表現したい場合。 長調というのはドレミファソラシドみたいなやつです。 ドからはじまるハ長調以外にも、さまざまな音からスタートする長調があります。 ニ長調:レ ミ ファ♯ ソ ラ シ ド♯ レ ホ長調:ミ ファ♯ ソ♯ ラ シ ド♯ レ♯ ミ 嬰へ長調:ファ♯ ソ♯ ラ♯ シ ド♯ レ♯ ミ♯ ファ♯ 嬰へ長調の七番目の音はミ♯です。 これをファで書くとこうなってしまいます。 「ファ♯ ソ♯ ラ♯ シ ド♯ レ♯ ファ ファ♯」 ファが最後に二つ続くと、音の階段という感じがなくなってしまいます。 ● また他にも、和音を正確に表現するためにミの♯を使うときもあります。 ド・ミ・ソという和音の全て

英語で書くと

ウェブサイトに簡単な英語のページを加えようと思い、プロフィールや短いコメントを英語ネイティブの方に翻訳していただいています。簡単な内容でも単語の選び方で細かなニュアンスが違うことが分かったりして、とても勉強になります。またよく聞く話ですが、やはり日本語は内容が曖昧になりやすいみたいです。英語で表現しようとすると、自分の本当に言いたいことが何なのか具体的にはっきりさせられる気がしました。そういう意味でも面白い体験です。

自己嫌悪がやっかい

音楽の練習をしていて、すぐには弾けない難しい部分に出会ったとします。 難しい部分は簡単にできる部分よりもっと詳しく観察して対策を立てる必要があるのですが、その障害になるのが自己嫌悪です。 自分が出来なかった時に頭の中が自己嫌悪で支配されてしまうと、そこで起きている事をしっかり観察する事が出来なくなってしまいます。 失敗した時に生徒を厳しく責めるような教育は、この自己嫌悪を大きくしてしまいます。これは生徒が自分で音楽の道を進んでいく上で効果的ではないと思います。 直すべき部分は感情を入れずに情報として伝えて、それより生徒の良い部分を心を込めて伝えていく方が音楽の喜びをもって丁寧に音楽に向き合えるのではないでしょうか。

簡単なところを探す

楽譜を演奏する時でも、耳コピをする時でも、他の課題に取り組む時でも、難しい場所にぶつかって行き詰まってしまう事があります。 そんな時でも冷静になってじっくり観察してみると、本当に難しいのはその場所のごく一部分に過ぎないかもしれません。 逆にいうと、難しそうな部分をよくみて、その中にある簡単なところをほんの少しでもいいから見つけることが大事だと思います。そうすると、そこを足がかりに攻略していく事が出来るかもしれません。

変わってしまったわけではなく

アバンギャルドにせよ、パンクにせよ、社会主義革命にせよ、少数派とか反体制の立場だったものが逆に権威を持った時、自分に反対するものに非常に厳しくすることはよくあります。それは変わってしまったわけではなく、弱い立場の頃に行っていた「自分と価値観の異なるものに容赦しない」という在り方を続けているだけかもしれません。戦い続けているのでしょう。

ペンタトニックいろいろ

ペンタトニックスケールという音階があります。これは5つの音からできている音階。 (ペンタは「5」という意味。例えば五角形は英語でペンタゴンといいます。) ピアノの鍵盤をドから1オクターブ上のドまで見ていくと、「ドレミファソラシ」と白い鍵盤が7つあります。その間には黒い鍵盤が5つあります。その黒い鍵盤5つだけを弾くとペントニックになっています。 黒い鍵盤だけを弾くと、なんとなく懐かしいような物悲しいような響きがするかもしれません。ペンタトニックは世界各国の民族音楽でよく使われていて、日本の民謡などでもペントニックはよく使われます。 ドレミファソラシのような普通の長音階から4番目と7番目を抜いてもペンタトニックになります(ドレミソラ)。これをヨナ抜き音階という事もあります。ヨナというのはヨンとナナの頭文字ですね。 音程の事が分かる方は、完全5度を積み重ねてもペンタトニックを作ることができます(たとえば、ド→ソ→レ→ラ→ミ)。 ペンタトニックの特徴の一つは、順番に弾いた時に半音がないことです。 一方、普通の長音階(ドレミファソラシなど)には半音があります。3番目と4番目の間(ミとファの間)、7番目と8番目の間(シとドの間)は半音です。 ペンタトニックの場合はヨナ抜きで4番目と7番目の音を抜くので、半音が無くなるというわけです。 ペンタトニックはブルース・ロック・ジャズにおいても非常に重要な音階です。クラシックもドボルザークやドビュッシーなどによく出てきます。ポップスでもたくさん使われます。 世にある音楽は長音階(ドレミファソラシ)の7つの音をもとにしているものが非常に多いですが

楽譜をみると固くなる

「楽譜を見ながら演奏すると身体が固くなってしまうけれど、自分が覚えていて譜面を見なくても弾ける曲だとリラックスして演奏できる」という声を生徒さんから聞きました。よく分かります。僕も自分自身でそういう傾向があります。もしかしたらどんな人でもそういうところがあるのかもしれません。 覚えている曲は、音楽のイメージが身体に入っているので自然にリラックスしてして演奏できるのでしょう。ただ、もし楽譜を初めて見て演奏する時でも、とてもとても簡単な曲ならあまり緊張しません。簡単な曲だと、初めてみる曲でも自分の中に音楽のイメージを描けるのでしょう。 そう思うと、「楽譜を見る力」と一口に言ってもさまざまな段階がありそうです。書いてある音符をそのまま音にするだけの段階から、音を使わず楽譜から直接音楽をイメージすることのできる段階まで。 「楽譜をみる→実際に音を鳴らす→音楽を感じる」よりも、 「楽譜をみる→音楽をイメージする→実際の音を鳴らす」という順番の方が確信をもって演奏できそうです。 それには絶対音感が必須というわけではないと思っています。例えば音が多くて黒いなーという感想だって音楽を感じている事になるわけです。 楽譜自体にも音楽は宿っているので、それを絵画のように楽しむのもいいかもしれません。 正しく音を弾くだけでなく、楽譜の奥にある音楽を探していくのが楽しいのだと思っています。

部分練習

ある曲を練習している時に、どうしても間違えてしまうところがあるとします。 そこを直すためにはまず部分的な練習をした方が良いとされています。左手を間違えるのならば左手を抜き出したり、5小節目を間違えるならば5小節目を抜き出したりして、その部分が出来るようになったら全体を通す。 ところが部分練習をやるのはなかなか難しいようなのです。曲を弾いていて、どこか間違えると一度そこでストップしてまたはじめから通そうとする生徒さんも多いです。自分自身のことを振り返っても、部分練習はあまり好きではありませんでした。ところどころ間違える状態だとしても、曲を通して弾くのはやっぱり楽しいことなのでしょう。部分練習だとその喜びが減ってしまいます。 それでも曲を弾くためにはやはり我慢して部分練習をする必要があるのでしょうか。 おそらく部分練習をした方が早く形を作ることはできると思います。でもそうやって音楽的な喜びを我慢しながら形を作ると、音楽の生命が失われる事があるかもしれません。かといって、たくさん間違えながら何度も何度も通していると自分でもその曲が嫌になってしまう可能性もあります。 そう思うと、一つのやり方に固執するのが一番危険かもしれません。 練習をする時は、その曲をいつも新鮮に楽しめるようにアプローチを柔軟にいろいろと工夫していく必要があるのだと思います。

ピアノトリオ終わり

昨日は名古屋でピアノトリオのライブでした。東京と名古屋の2回できて良かったです。ニューヨークでの話とか聞くと刺激になりました。ハラルっていうごはんが美味しいらしいです。次回またこのメンバーでトリオをやれる時が来るまでに、いろいろ自分の事を先に進めたいと思いました。